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2011年、モビリティランドは創立50周年を迎えました。

モビリティランド50年のあゆみ

第四章 ─ ツインリンクもてぎ誕生 ─ 新たなモビリティ文化の創造

ツインリンクもてぎは、“人・自然・モビリティの融合”をテーマとし、「未来に向けたモビリティ文化の発信基地」としてプロジェクト発足から11年の歳月を費やして開場した。
国内初の本格的オーバルコースを導入し、CART・NASCAR・インディといったビッグレースの開催により、アメリカンモータースポーツの楽しさを紹介した。また、もて耐に代表される参加型の4大耐久イベントなどを企画開催し、誰もが楽しめるモータースポーツの普及を目指した。
ドライバーが“危険を安全に体験”し、楽しみながら科学的な知識とスキルが身に付く新しいトレーニング施設<アクティブセーフティトレーニングパーク>、Hondaの技術・製品開発の歴史を伝承する<Honda Collection Hall>、さらに子どもたちの自然体験学習の場としてさまざまなプログラムを提供する<ハローウッズ>と、ツインリンクもてぎは“参加”をキーワードにしたさまざまなモビリティ体験コンテンツを整えていった。

Hondaに生まれたプロジェクト

1980年代の半ば、Hondaの2輪営業部には将来に向けた一つの構想が立ち上がっていた。全国各地の販売代理店との協力で、オートバイを使い、楽しく遊べる場を全国につくろう=“モーターゲレンデ構想”と名づけられたこの構想には、「製品を市場に送り込むだけではなく、オートバイファンの裾野を広げていくことが必要であり、4輪・汎用製品も含め、ユーザーが楽しめる場を提供することは、メーカーの使命」との考えがあった。
1986(昭和61)年2月、2輪営業部とモーターレクリエーション推進本部(当時)のメンバーからなる<MT(モータートラック)プロジェクト>が発足し、モーターゲレンデ構想の推進にあたった。1988(昭和63)年12月、Hondaは「モータースポーツの世界と安全運転の普及を広げるべく、モビリティを取り巻くソフトウエアを活用したフィールドスポーツや、広大な自然を体験できる施設など、世界のモビリティ文化の発信地となる」ことを目的とした“モビリティワールドもてぎ(仮称)構想”を発表。数ある候補地の中から、山に囲まれたすり鉢状の地形により、音が外部に漏れにくい特徴をもった栃木県芳賀郡茂木町が最終候補地となった。
そして1991(平成3)年2月、この施設運営を行う会社として(株)ホンダモビリティワールドが、(株)鈴鹿サーキットランドと本田技研工業(株)の共同出資により設立された。
空港建設にも匹敵する工事
完成当時の全景
Honda Collection Hallアクティブセーフティトレーニングパーク
ホテルツインリンクハローウッズ

モータースポーツの新たな提案を目指して、ツインリンクもてぎ待望の完成

21世紀に向けた新しいモータースポーツの姿を模索した(株)ホンダモビリティワールドは、モータースポーツがエンターテインメントとして定着しているアメリカに注目した。NASCARレースを視察したメンバーは、観客が熱狂する状況に圧倒された。色鮮やかなスポンサーカラーのストックカーが繰り広げるオーバルコースによるレース。観客はスタンドに居ながらにして目前でマシンの走り・レースの全容が楽しめる、お気に入り選手のスポンサーカラーのTシャツを着てビールやコーラを片手に声援する、ヨーロッパフォーミュラレースと異なった“観客参加型”のモータースポーツがエンターテインメントとして成立していた。
「これこそ日本にないものだ」と強く感じたメンバーは、日本初の本格的なオーバルコースの導入を強力に推進した。「ただ単に、国内9つめのロードコースを造るだけではダメだ。参加型モータースポーツの選択肢を豊富にそろえた施設こそが、21世紀には求められているはずだ」こうした考え方に基づき、ロードコースとオーバルコースを重ね合わせたレーシングコースに、ダートトラックやマルチコースなどのショートコースを加えた、ユニークな施設の建設が決定した。
施設名は<ツインリンクもてぎ>に決定、社名も(株)ツインリンクもてぎに変更された。ツインリンクとは、英語のTWINとドイツ語のRINGをつなぎ合わせた造語であり、二つのレーシングコースを表わす。さらにツインには融合という意味もあり、“人と自然”の触れ合いや調和、そして“人と人”との出会いや結びつきに通じる。より多くの人たちが、ツインリンクもてぎで感動や共感の輪を大きく広げてほしい=そんな想いが込められた。
総敷地面積は640ha(東京ドームの137倍)。山を削り、谷を埋める建設工事は、民間の一企業が手掛けた工事としては国内最大規模のものとなり、空港建設工事にも匹敵した。精度の高い測量を可能にするGPSを日本で初めて盛り土管理に応用し、その盛り土は最大65mにも及んだ。オープンを間近に控えた1997(平成9)年7月、第1期工事が無事完了し、全長1.5マイル(約2.4km)のスーパースピードウェイと全長4.8kmのロードコースのレーシングコース、ショートコース・ダートオーバルトラック・カートランド・交通教育施設など13の施設が出来上がった。
そして1997(平成9)年8月1日の営業開始から7カ月後の1998(平成10)年3月には、Honda 創立50周年事業の一環として、創業の理念や経営哲学、技術開発や製品開発の歴史を伝承する<Honda Collection Hall>・21世紀に向けた先端技術を紹介する<ファンファンラボ>、あわせて<ホテルツインリンク>が完成した。さらに2000(平成12)年7月、人が自然と楽しく関わりあうなかで、溢れる生命(いのち)を自ら体験し発見する「きっかけの場」の<ハローウッズ>がオープンする。ツインリンクもてぎは、21世紀に贈るモビリティ文化の情報発信基地を目指した。
CART チャンピオンシップ・シリーズ Budweiser500
NASCAR THUNDER SPECIAL MOTEGI Coca-Cola500

アメリカンモータースポーツスピリッツを日本に

ツインリンクもてぎが、日本のファンに初めて提供したアメリカンビッグレースは、1998(平成10)年3月に行われた<CART チャンピオンシップ・シリーズBudweiser500>であった。シリーズ公式戦として行われたこのレースには、CARTにシリーズ参戦するドライバーたちがすべて顔を揃え、決勝では5万5000人の観客がオーバルコースを見入った。2人の日本人ドライバー、ヒロ松下と松田秀士の姿もそこにあった。
アメリカ・日本両国の国歌斉唱の後、茂木町阿部町長(当時)の「Gentlemen, Start Your Engines!」の一声で全車にエンジンがかけられる。1周目のコースサイドではオフィシャルがサムアップして、全ドライバーの健闘を祈る。3周のローリング走行後、スタートフラッグが振られ、全車一斉にアクセル全開で第1ターンに飛び込んでいくと、そのスピードと爆音に観客の興奮はピークとなった。
最高時速300km超にも達するCARTマシンのバトル以上に新鮮だったのは、ドライバーたちのファンサービスだった。パドックでファンに声をかけられると気軽に立ちどまり、求められれば写真撮影やサインに応じた。それまでの日本のレース場ではあまり見られない光景だった。
同年11月には、CARTと並びアメリカで最も人気の高いストックカーレース<NASCAR THUNDER SPECIAL MOTEGI Coca-Cola500>が開催された。ツインリンクもてぎ構想時にプロジェクトメンバーが圧倒されたNASCARは、CART同様、ドライバーのファンサービスが徹底されたものであった。車検が終了したマシンはスーパースピードウェイ(SSW)のピットへ移動してしまうため、パドックパスを購入したファンが見ることができない。これを訴えると、人気選手のマシンの車検を何度も繰り返し行い、ファンの楽しみをたっぷり作り出す徹底ぶりだった。
アメリカンモータースポーツを開催していく中で、ツインリンクもてぎや日本のモータースポーツ界に“ファンに楽しんでもらうことが、何よりも大切”という考えが根付いていった。
2009 インディジャパン オープニングセレモニー

地域の祭りを目指したインディジャパン

2003(平成15)年、HondaはCARTから離れ、インディカー・シリーズに参戦することを発表した。これにCARTの有力ドライバーやチームが追随し、一躍アメリカンモータースポーツの中でもインディカー・シリーズ への注目が高まった。ツインリンクもてぎでも、同年からCARTにかわりインディカーシリーズの一戦として、<BRIDGESTONE INDY JAPAN 300mile>を開催した。インディジャパンでは、単なるレースだけではなく、茂木町をはじめとする周辺地域を巻き込んだ広域活性化イベントを目指した。本場アメリカのインディ500は、1ヶ月がかりの大イベントである。インディジャパンでもレース前の1週間を“インディウィーク”として、さまざまなプレイベントを行った。3回目の開催となった2005(平成17)年には、宇都宮市を筆頭に、宇都宮観光コンベンション協会・茂木町と周辺の芳賀町・市貝町、さらに地元のFMラジオ・テレビ局まで加わったプレイベント実行委員会が発足した。また商工会議所や地元商店街をはじめ、さまざまな人たちが参画する仕組みができ上がっていく中、クラシックカーやクラシックバイクによる各市町のパレード、周辺4市町を1週間がかりで巡るインディウィークスタンプラリー、オーバルコースやロードコースを走る“インディジャパン・サーキットマラソン”など、さまざまなイベントが生まれた。各市町の商店街にはインディフラッグやポスターが掲出され、コンサートやオークションなど、各市町単位のイベントも数多く実施された。
インディジャパンは地元市町と強力に結び付くことで、多くの人たちが楽しめる“地域の祭り”として定着していった。
もて耐Joy耐
K-TAIDE耐!

モータースポーツの裾野を広げるために

一人でも多くのオートバイやクルマのファンをつくるために、そしてオープン直後のツインリンクもてぎの名前を全国のファンに知ってもらうために、ツインリンクもてぎでは、より多くの人にモータースポーツを体験してもらうことを目的にした参加型レース・イベントを開催した。現在、もてぎ4大耐久として定着したオートバイ・クルマ・カートの4つの耐久イベントである。
その先駆けとして1998(平成10)年に開催された、オートバイの7時間耐久レース“もて耐”では、マシンに排気量制限をせず、125cc以上であれば参加ができた。小排気量車と大排気量車の速度・ラップタイムの差を埋めるため、大排気量車への給油時間・量の制限、選手のレベルに合わせた走行時間の制限などのオリジナルレギュレーションで、最後まで誰が優勝するかわからない新しいスタイルの耐久レースとなった。今までのレースにないユニークな“もて耐”は、開催前から大きな注目を集め、第1回大会には150ccから1300ccまで全100チームが参加、メディアにも大きく報じられると、参加者は毎年増えていった。
さらに2001(平成13)年から始まった“4輪のもて耐”<Joy耐>、家族や友達同士がチームとなり、レーシングカートで4.8kmのロードコースを7時間走行するイベント<K-TAI>、 また100cc以下のミニバイクによる7時間耐久レース<DE耐!>は、より安く・安全に・気軽に参加できる“小さなバイクの大きなお祭り”を目指し、2003(平成15)年からスタートした。
ツインリンクもてぎの参加型イベントは、今までになかったモータースポーツとして、選手に限らずイベントに参加した全員から大きな支持を得て、現在も親しまれている。
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